• 自分の肉体は一つしかない。

     人は、当たり前過ぎるものの価値をとてつもなく過小評価してしまう。例えば、脚と足ですね。健常者なら、当たり前に、無意識に歩行することが可能だ。

     勿論、歩きたい時には「歩け」という指令を脳が神経を通して脚に通すのだが。しかし、一々、頭の中で数式の計算のようにしっかりと考える訳ではない。無意識の内に歩行を開始することが可能だ。

     胴体の付け根から下の部位を『脚』と呼び、くるぶしから下の部位を『足』と呼ぶらしい。また、胴体の付け根から下の部位に関しても『足』と呼ぶこともあるらしい。まあ、とにかく、脚も足も、どちらも重要な器官であることには変わりはない。

     そりゃ、心臓とか脳に比べれば、脚の重要度は下がる。なぜなら、両足切断とか、両脚切断になっても、人間は生きられるが、心臓や脳が駄目になれば、人は生きられないからだ。勿論、心臓に関しては人工心臓という技術があるが。

     だが、現時点で、脚も足も、義足はあるものの、生身の脚や足の如く、無意識の脳波で生身の肉体の如く自由自在に動かせる義足というものは存在しない。

     とにかく、自由自在にどこにでも移動可能なこの脚と足という機能は、実は素晴らしいものだ。歩くという行為だけではなく、立ち上がるにしても、しゃがむにしても、脚と足がなければ、そもそも無理だ。

     なので、飛び込み自殺とか飛び降り自殺で、未遂で終わった人が、両脚切断とか、脚があっても一生車椅子生活とかになれば、それは、とてつもない幸せを自ら放棄してしまったことになってしまう。自動車も、あれは両脚があってのものだ。マニュアル車なら両脚が必要だし、オートマ車であっても、右足は必須である。自動運転車の開発も進んでいるらしいが、現時点(2020年)では、まだ自動運転車の市販車はない。なので、当分は自らの脚を使用して運転せねばならない。

     まあ、車の運転のみならず、日常生活のありとあらゆる場面で、実は両脚・両足は、多大なる貢献をしてくれている部位なのだ。スーパーの列に並ぶことさえも、両脚がなければ不便だ。登山とかもそうだし、登山なんて遠出をしなくても、階段を上り下りするとか、港とか海岸に行ってちょっとした段差を越えるとかも、両脚のお陰だ。車椅子では、ほんのちょっとの段差でも、上り下り出来ないからな。

     まあ、勿論、義足もあるが、やっぱり義足よりも素足の方が良いに決まっている。それに、義足は購入費用がけっこう高いらしいし、メンテナンス代金も掛かるだろう。しかし、生身の脚・足ならば、健康体ならば、無料で素晴らしい機能が、毎日使用可能だ。

     だから、以下の写真集を見て、いかに人体が素晴らしいか、実感して頂きたい。そして、その素晴らしい肉体の機能を、自ら放棄するような、そんな愚行はけっしてしないで頂きたい。失ってから、その失ったモノの価値に気付いても、生身の肉体は、もう二度と戻っては来ないからな。

     だから、脚と足は貴重なんだから、絶対に自らの愚かな行為で手放すなよ!失ってから脚と足の大切さに気付いても、もう遅いからな。

     ※ちなみに、履いているスニーカーは、神奈川県の平塚市のオリンピックというショッピングモールで購入した、オリンピックのオリジナルブランドの[ノースストリーム]というスニーカーである。値段は税込み4300円程度だった。

     平凡な職業に就いていて、金も大して無いのに、アホみたいに高級ブランド品に狂っている人がいますが、そいつはバカです。身分相応が一番良い。ハッキリ言って、このスニーカーは、履き心地が良いし、恰好良い。俺はこれで良い。新品の格好良くて履き心地が良いスニーカーが税込み4300円で買えるのだからな。

     あなたの死にたい気分というのも、実は、見栄が原因なのかもしれない。見栄を捨てれば、幾らか生き続けることが楽になるかもね。