リモコンの操作というのも、日常生活の中での何気ない動作の一つである。しかし、それも繊細な動作が可能な人間の指があって、初めて可能になるものだ。羊の蹄(ひづめ)みたいな手足では、リモコンの、あの小さなボタンを押すことは不可能だ。
我々人間は、手と指のありがたみを、今一度、噛みしめましょう。当たり前過ぎて意識しないものですが、この手と指というのは、どんな宝石や黄金よりも価値があるものです。
たとえ四億円の価値がある古代エジプトの秘宝を手にしても、その代わりに自分の肉体の両手の手首から先を失ったなら、もう、日常生活の殆どの精密動作が不可能になるので、嬉しさなど一気に吹っ飛んで、悲しみしかなくなるであろう。
そりゃ、その四億円分の価値のあるお宝を売れば、四億円の現金が手に入る。まあ、税金を支払った後でも、二億円以上は残るだろう。だが、いくら二億円あったとしても、一生、他人に介助してもらわねばまともに生活出来なくなるのだから、誰でも嫌になるだろう。
だったら、「この金を全て返金するから、元の両手を戻してくれ!」と、殆どの人間は神に祈るだろう。なので、我々健常者の両方の手首から先の手の機能というのは、いわば二億円の現金以上の価値があるということだ。
だから、大切にしましょう、自分の肉体を。
何気ないリモコンを掴む動作も、手と指があってのもの。大切に。
親指以外の指でリモコンを空中で固定しつつ、下方向に親指に少し力を入れ、固定されていたスライド式の蓋を下にずらす高度な動作。
本当なら両手で出来るのだが、生憎、私はキン肉マンという漫画に出てきたアシュラマンみたいに、腕が六本もない。二本しかないのだ。だから、どうしても、右手で撮影しなければならないので、両手で掴んでいる写真は撮影できない。10秒タイマーがあるので、どこかに固定すれば可能だが、そこまではしたくはない。面倒だから。
でも、両手が無ければ、一生、あらゆる動作が面倒になるぞ。だから、絶対に両腕は失うなよ。それは貴重なのです。
このように、両手と両方の指の合計十本があれば、簡単にスライド式の蓋も外せる。これが、手首から先が無ければ、無理だろうな。出来ても相当に苦労します。
この、固定されている小さな乾電池の底のマイナスの部分、そこに指の爪を入れて、微妙な力加減で引き抜く動作。これも貴重だ。
小さな乾電池を取り出せた。そして、その乾電池を掴む動作。
乾電池を掴み、少し斜めに上げる動作。これはタバコを持つ動作にも通じる。
このような精密作業は、手首から先が無ければ無理だろう。
再度、乾電池を装着する。まあ、この時はまだ電力は残っていたので、今まで通りの乾電池を装着しただけ。でも、乾電池の交換作業は、このように、精密動作が必要となる。
しっかりと両方の乾電池を装着。
乾電池を装着後、蓋を、この微妙なサイドの出っ張りに微妙な力加減で押し込み、スライドさせ、元通りに戻す。
この動作も、上方向と下方向に、微妙な力加減を働かせることが可能な人間の指があるが故に可能となる、高等な動作である。
はい、元通りになりました。
これで電池交換は完了です。これも、左と右の両方の手と指があるが故に可能なことです。
だから、死にたい人達よ、絶対にその、今、あなたの肉体に備わっている素晴らしい人体の機能をね、飛び降り自殺とか飛び込み自殺とかで喪失しないように。それは何億円よりも遥かに価値がある機能だから。
あ~、あと、写真では、乾電池が、両方ともマイナスの方向が同じになってしまっていた。でも、それも、後で直ぐに入れ直せた。それも、この両手の指のお陰だ。